2024年4月6日土曜日

"kawauso" 映画祭予定

4月以降、”カワウソ”が上映される映画祭が幾つか決まっているので、公式発表されているものについてここに記しておきます。

香港国際映画祭(HKIFF48) 上映日:4/5、4/8(コンペ)

ボルツァーノ国際映画祭(Bolzano Film Festival BOZEN・イタリア)上映日:4/16(コンペ外)

モスクワ国際映画祭Moscow International Film Festival)4/19-26(コンペ外)

アヌシー国際アニメーション映画祭(annecy festival)6/9-15(コンペ)


HKIFF48


Moscow

annecy


2024年3月3日日曜日

ベルリン国際映画祭終了

 

 ベルリン国際映画祭74。参加4回目となる今回はこれまでと大きく異なる印象を持って終わることとなった。開催前からドイツでは親パレスチナを表明するアーティストへの検閲に対する批判、それにともなって映画祭への不参加や出品を辞退する監督が出るなどし、国内でもネット上ではボイコットすべし!のような言葉も散見されていた。それらを踏まえ、どのような形でベルリナーレに参加すべきなのか悩ましいところであったが、結局自分はその答えを出せぬまま現地に入り、映画祭のスケジュールに翻弄され、英語の不自由さも重なりパレスチナ問題に触れること無く映画祭を終えることとなった。(やった事と言えば一度だけクーフィーヤを巻いて登壇したぐらい)

 何れにせよ、映画祭の中に入ってしまうとその圧倒的な雰囲気に圧されて様々な問題意識が薄れていったのは確かである。おそらくそれは自分だけではなく、身近で見ていた他の若い監督たちも同様だったように思う。今回のベルリナーレショーツは半数以上が西ヨーロッパの作品で占められており、それは作為的なものなのか偶然なのかは判断できないが、幾人かの監督たちは開催前からSNSで連絡を取り合い連帯し、パレスチナ問題について何かアクションを起こすことを考えていたようだった。しかし彼らも特に目立った発言はなかったように思う。(もししてたらごめんなさい)ただ授賞式で「No Other Land」(イスラエル人とパレスチナ人の二人の監督による作品)がドキュメンタリー賞を受賞した瞬間には歓喜の雄叫びと一段と激しい拍手を送っていたのが印象的だった。


 戦後、民主主義を何よりも優先してきたドイツにとって、ベルリナーレもそのドイツの”正しさ”をアピールするための重要な場であることに違いはない。三大映画祭の中でも突出して社会問題を扱った映画を上映することは誰もが知るところであり、今回のAfD議員締め出しや、何よりも受賞結果がそれを十二分に語っていると言えるだろう。しかしベルリナーレ終了後のドイツ国内メディアや政府機関からは「反ユダヤ主義」と言う言葉が氾濫し、10.7と人質問題に触れなかった事を理由に授賞式の内容を批判する声が上がり、それに呼応するように言い訳をする文化大臣の姿もあった。

そこから見えるのは何であろう。単純に政治と文化は同質ではないということだけだろうか。或いは全く別の理由、それこそ長きに渡る一部の権力者の策略によって引き起こされてしまった矛盾に国民が翻弄されてしまったと言うことだろうか。


 戦後、歴史と向き合うこと無く現在に至る国に暮らす私に、ドイツとドイツ国民が今現在抱え込んでしまった”矛盾”について語る言葉など無いのかも知れない。それでも、そんな自分が今になって考えてしまうのがベルリナーレ開催の中、映画祭運営に携わる人達はどのような心境でいたのか。と言うことである。パレスチナ擁護を発言するだけで「反ユダヤ主義」と見做されるような状況下で、常に笑顔でゲストをサポートしてくれた彼らがどんな気持ちでベルリナーレを迎え、そして終えたのか。当然一様ではないだろうが、中には苦しい立場に立たされていた人もいたのかもしれない。ベルリナーレショーツのキュレーター、Anna Henckelの示唆的な言葉をここに転載しておく。


「現在、私たちがお互いに対話する方法は、思い込みと不信によって規定されている、それ故、人々がスクリーン上でお互いを信頼し合うとき(特にお互いのことを知らない者が)それはとても感動的だと感じます。」



 ドイツに限らず、西ヨーロッパがこれまで維持して来た”権威性”に揺らぎを感じ始めている、というのは大袈裟だろうか。しかし、だとすれば今後もこのような国家レベルの映画祭が存続していくためには、大きくその有り様を変える必要があるのかも知れない。



2024年1月18日木曜日

Berlinale Shorts 2024

 「カワウソ」がベルリン国際映画祭2024短編部門にノミネート。感謝すると共に、国際映画祭という文化的イベントが本来持っているはずの目的と効果とは何であるのか、考えてみたい。



2023年11月30日木曜日

アニメーション「カワウソ」について

 先日開催された札幌国際短編映画祭において、「カワウソ」がジャパン・プレミア・アワードを受賞。名誉なことです、ありがとうございました。
第18回札幌国際短編映画祭アワード発表


この短編アニメーション「カワウソ」はヴォードビリアンの上の助空五郎さん(かつてバロンと呼ばれた男)の2016年のアルバム「来​し​方​行​く​末」に収録されている歌、”カワウソ”がその始まりとなっている。Studio Mangostenが主催する”ハンズボン映像展”で空五郎さんと共演した後、空五郎さんから”カワウソ”のMVを制作してほしいと持ちかけられ承諾したものの、独特で軽妙な歌に合わせた映像を作ることができず長く苦しんだ末、”カワウソ”をMVではなく”映画”のテーマ曲として使用するという結論に行き着き、それによってわたしは(”歌の呪縛”から解放され)新しく”カワウソの世界”を作っていくことが可能となったのだった。ありがとう、空五郎さん。

そして2023年に完成する見通しとなり、ほぼ映像ができ上がった時点で、サウンドアーティストのニシテツロウさんに本編のサウンドデザインをお願いすることとなった。ニシさんはわたしの第一作目「セルネフ」、二作目「小さなとかげ」の楽曲を担当してくれた人物でありる。自然音のサンプリングをメインにしたサウンドは「カワウソ」の映像に空間を広げ、画面の外の世界を鑑賞者に想像させる事に成功している。

脚本は、版画家で絵本作家の溝上幾久子さんがわたしと共同で担当した。イメージを先行して作っていくわたしの制作方法に溝上さんの存在は不可欠となっており、それは一作目の「セルネフ」以降続いている。

そして今回初めて作画でアルバイトを雇っている。画面のほとんどが鉛筆画で構成されているが、特に無数のオブジェを一人で描くのは困難であり、6人の美大卒業生に協力してもらった。

この「カワウソ」に関わってくれた全ての人は、自分の表現活動をしている作家であり、その方法も皆多様である。故に「カワウソ」で依頼した仕事内容は本人に取って本来の表現方法と異なっているものであったろう。にも拘らず、共に制作してくれた事に心より感謝したい。皆の御蔭で作品が完成し、映画祭で受賞することができた。ありがとう。

最後に2度に渡り福島県双葉郡の取材に協力してくれた渡邊克彦さんにお礼を申し上げたい、後半のイメージ作りに欠かせない体験となっている。

「カワウソ」制作スタッフ一覧(リンク有り)

監督、アニメーション:泉原昭人
サウンドデザイン:ニシテツロウ
脚本:溝上幾久子・泉原昭人
テーマ曲:上の助空五郎
作画協力:
春日 佳歩岡村 あい子馬田 圭佑穂積 さび明河 まりな伊藤 真希子



2023年11月3日金曜日

第18回 札幌国際短編映画祭

 第18回 札幌国際短編映画祭、インターナショナル・コンペティション、ジャパン・プレミア・プログラムにおいて、「カワウソ」が選出されました。7年ぶりの映画祭、大変楽しみです。深く感謝。

2023年10月23日月曜日

メディウム

パレスチナ出身のイラストレーター、ナージー・アル・アリーの作品を見ていると、パレスチナを含むアラブ世界が西側によって何をどのように収奪され続けてきたのか、私たち日本人にでさえその苦しみの一部を知ることができるように思える。”メディウム”が本来の意味の通り不在のものと私たちを結びつける力があるとするならば、それは彼の作品のようなものを指すのかも知れない。時に”イメージ”は複雑に歪んで見え難いものを真摯に伝え、言葉以上に強く語りかける力をもっている。

「A child in palestine

(Nājī Salīm al-'Alī、1938 - 1987)


2023年10月21日土曜日

イェーテボリ・プリズマ映画祭

スウェーデンのイェーテボリ・プリズマ映画祭で、「Vita Lakamaya」の上映が予定されている。日本のショートアニメーションを特集する子供向けのプログラムのようだが、「Vita Lakamaya」はもう7年前の作品、にも関わらず上映希望を連絡してくる映画祭があることに感謝したい。上映は10月28、29日。

Göteborg Film Festival Prisma


2023年8月5日土曜日

伝承の意味

7月23日、常磐線を乗り継ぎ福島県双葉町へ。双葉駅前で郡山に住む友人W氏と合流し、彼の車で”福島原発事故伝承館”へ向かう。(双葉町は現在も帰還困難区域であり、除染済みの一部区域を除き長時間の立ち入りは制限されている。駅前は3年前と比べ更地が増えており、印象的だった半壊の寺の本堂も姿を消していた。)

スロープにある写真パネル

”福島原発事故伝承館”のロビーは思った以上に広く圧迫感のない快適な空間となっており、丁寧な対応受付に促され入場料600円のチケットを購入する。展示は1階の大型スクリーンでの福島原発の歴史映像から始まるが、6画面をうまく切り替えながら表示される映像編集のせいなのか、被災地や避難民の人々が映し出されても何か小洒落た”別のもの”を見ているような奇妙な感覚になる。映像が終われば螺旋状のスロープで上階の展示室へ向かい、その途中で再びパネル写真で福島原発の歴史を復習する。メインの2階展示空間はやや繁雑さを感じたが、様々な資料や映像、原発のジオラマ等が並び、事故当初の状況を詳しく理解できる内容になっていた。館のスタッフの補足説明も良い。(多分良いのだろう、あまり聴いていなかったのだがそんな気がする)展示スペースを抜け、3階テラスで芝生と海のコントラストを眺めながらずっと感じていた違和感について考えてみた。ここで原発事故の当時の状況を理解することは十分できる。しかし、わずか3Kmしか離れていない場所で今もなお”事故が継続”している現実の危機感を肌で感じることが全くできないのは何故なのだろう。展示では原発の現状を説明する箇所があるにも関わらずだ。ここでは何かが欠如しているのではないか。森達也の「歴史を知ること、後ろめたさを引きずること、自分の加害性を忘れないこと」そんな言葉を思い出す。

おそらくはこの”福島原発事故伝承館”には”後ろめたさ”が無く、”加害者意識”が無く、「私はあの事故と全く関わりがありません」そう言っている場所から原発事故を眺める装置になっているのではないか。ある視点から過去へ向けたパースペクティブの中に収まる物しか見えない、遠近法主義的な、すでに過ぎ去った、終わったとする物を見るための装置になっている。


”福島イノベーション・コースト構想”、それがこの福島原発事故伝承館を企画したプロジェクトの名前である。それは様々な民間企業や第三セクターが国の補助金によって技術開発を行う巨大な事業複合体となっている。被災地復興に国が尽力するのは当然のことだが、これは事故における責任も被災者への配慮も不十分なまま進んでしまった一例なのではないか。ここを訪れた人は自分が”加害者”の一人である事を想像することはできないだろう。

浪江町請戸浜


2023年7月21日金曜日

On the Silver Globe

この映画を観たのはいつのことだったか。当時の自分にとってポーランドという馴染みのない国のせいだったのか、そこに映し出される映像を遠い地の果てで起きていることのようにぼんやりと観ていたように記憶している。それでも強烈な印象が残ったのは事実であり、それが果たして何だったのか再調の目的も含めて30数年ぶりにこの映画を観ることにした。が、やはり私の理解が十分に及ぶものではない事を再確認する結果となる。 それでも禍々しくも耽美であり、暴力とエロスが跋扈する世界は、映像の魔力とでも言うべき力を遺憾なく発揮していることは間違いなく、初見の時と変わらずそれを新鮮に感じる事ができたのは嬉しい誤算であった。登場人物の姿形、台詞、揺れる画面、それらが風景の中で混濁し蠢いている。それを(なす術なく)受け止めていくのは”眼”だけであり、陳腐化した言葉は置き去りにされ、映像世界にのめり込むように突き進んで行くばかりだった。そして観終わった後、残骸のような映像のかけらからは様々なイメージが立ち上ってくるのだった。

アンジェイ・ズラウスキー監督”シルバー・グローブ”(1987)

現在では、キーワードを検索すれば、幾らかの情報を得ることができ、その対象について理解を増すことはできるだろう。制作の背景を知ることは当然重要なことであり、ソ連崩壊以前のポーランドであれば尚更かもしれない。しかし思うに、それらは”映像の力”とほぼ無関係なものなのではないだろうか。

日々私たちは様々な事柄を”わかること”、正確に言えば”わかったと思えること”へ変換し続ける社会に生きている。それは”わからないこと”をそのままにしておくことが許されない社会なのかも知れない。物語の展開が”わかる”、登場人物の心情が”わかる”、作品のテーマが”わかる”、それは共感のため、そして共感は”市場のため”、、、であろうか。故に”わからないもの”はそこから排除され、常に説明過剰なもので満たされ続けている。


そんな社会で暮らすわたしたちは想像力を十分働かせる時間がどれほどあるだろう、日々の生活の中で直感に頼って決断、行動する機会は果たしてどれほどあるだろう? 誰もが”皆が好むもの”、”皆がわかるもの” に埋没してはいまいか?

こんな映画を観てしまうとそう思わざるを得ないのだ。